コラム

本年もよろしくお願い申し上げます。

2019.01.07

新年の業務が始まりました。

  降る雪や明治は遠くなりにけり

平成最後の新年を迎えるに当たって、ふと、この句が浮かびました。
この句の作者は、中村草田男(明治34年(1901年)~昭和58年(1983年))、近代俳句の創始者である正岡子規の故郷、愛媛県松山の出身です。
私と同世代の方は、中学生の時の国語の教科書には、この人の
萬緑(ばんりょく)の中や吾子の歯生え初むる」という、まことに生命感あふれる句が載っていたのを憶えておられるかも知れません。

草田男がこの句を詠んだ昭和6年(1931年)とは、どのような時代だったのでしょうか。
この年、日本の細菌学の父として知られ、慶應義塾大学医学部を創設した北里柴三郎や、日本資本主義の黎明期に多種多様な企業の設立に関わった、実業家の渋沢栄一が亡くなっています。
ちなみに、小説「坂の上の雲」の主人公で子規と同郷の秋山兄弟の兄・好古も、昭和5年に世を去っています。
近代日本の先駆けとなった偉人達が世を去り、「大正」の一つ前の「明治」という時代が、まさに歴史の片隅に押しやられようとしている、そのような時代の空気が伝わってくる気がします。

同じく、昭和6年9月18日、奉天の郊外の柳条湖で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破し、中国軍との戦端を開きました。満州事変の始まりです。12月には、軍部との対立により、「事変不拡大」の方針を掲げる若槻礼次郎内閣が総辞職、後任の首相となった犬養毅は、翌昭和7年、五・一五事件の凶弾に斃れます。「話せばわかる」、「問答無用」のやりとりは、戦前の政党政治の終焉を告げる言葉として、余りにも有名です。
明治が終わってから20年目、草田男が「明治は遠くなりにけり」と詠じたすぐ後には、「昭和」の日本は、無条件降伏への長い道程を辿り始めていたのでした。

昨年も、西日本豪雨(平成30年7月豪雨)や北海道胆振東部地震といった災害がありました。我々が「平成」を語るとき、災害の記憶は切り離すことができません。
ただ、それよりも大切なことは、「平成」は明治以降初めて、我が国が海外で戦争をしなかった時代だということです。
我々の多くが生まれ育ち、我々の父母、祖父母が戦争の体験とともに生き抜いてきた「昭和」が歴史の片隅へと押しやられつつある今、「問答無用」の輩が再び台頭することにならぬよう、「平成」の次の時代が長く平和であることを心から祈念し、年頭のごあいさつといたします。

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